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モンゴルの風は優しかった〜

東京弁護士会榎本昭弁護士より寄稿

副大臣との面会1 私たち8名の日本弁護士連合会国際交流委員会のメンバーは,司法支援を目的とするモンゴル国視察訪問を2005年7月25日から8月1日にかけて行った。
法務内務省訪問,現地弁護士会との民事調停のセミナーの実施,ウランバートル大学生との昼食会,ゾーンモド地方の裁判官・弁護士との交歓,首都裁判所,米・独の援助団体との交流,憲法裁判所・行政裁判所の訪問,大使館・JICA の訪問などが公式行事であった。

弁護士会調停セミナー2 幸いなことにたまたま行きの飛行機内で,名古屋場所優勝の横綱朝青龍さんと安馬さんと席を近くに持つことができた。朝青龍さんは大変気さくなチャンピオンで,ユーモアを交えた自信にあふれた話しぶりであった。「取り組みが発表になるとその前の晩には相手方との作戦を考えるのですか。」という質問に対し,「それは弁護士さんと同じですよ。」とニンマリ笑った。 朝青さんの勝利の瞬間を一面に報道する機内のスポーツ紙を示して「Great !」と叫んだら,微笑したが反応はなかった。このことを後で評して「俺はあのような挨拶をされるとハワイの2世かと思ったよ。俺は日本の横綱だから日本語で話そうよ。」とやりこめられてしまった。さすがに何事においても隙が無く,ユーモラスに取り組み魅力のある青年格闘家であった。ついでながら初日の地元弁護士会との交歓会終了後に朝青bウんの長兄であるモンゴル相撲チャンピオンであるドルゴルスレン・スギヤバザル氏(さしずめ日本名でいうと「スギヤマさん」というところか。)という名前の格闘家と我々の一行とが面談し,記念写真を撮った。ものすごく迫力のある印象であり,我々の仲間の一人は「心臓がバクバクだよ。」とひどく感激していた。
その下の弟がブルー・ウルフという名のプロレスラーで,朝青龍さんは三男である。
格闘技での稼ぎの多い親孝行な三兄弟を持った父親は,ハルホリン近くで,約500頭の馬を所有する有力な資産家である,と朝青龍さんは誇らしげに語った。

地方弁護士との草原での飲み会3 前記の公式行事を済ませた上で,金曜日の夕方からハルホリンに出かけた。「ハルホリン」とは,カラコルムの正式な呼び方であり,初期の日本人訪問者が「ハルホリン」という現地人の発音を「カラコルム」と聞こえたので,それをそのまま日本に報告したことが機縁で,通称「カラコルム」と呼ぶのだそうだ。
ウランバートルから南西約300キロにある草原の中のリゾート地ブルド村に2泊し,そこを基地にエルデネゾー寺院を訪ねた。インド・チベット様式を受け継いだ仏舎利塔などがあり,寺院の敷地内にはジンギスハーンを継いだ第2代皇帝オゴタイハーンから4代モンケハーンまでの時代の墳墓があった。 チベット仏教のお釈迦様は,極めて目鼻立ちのハッキリした,いい男であった。色彩が強い橙色を中心とした 地獄絵や天国図などが,日本のそれとほとんど同じことを言い表しており,その基礎となる「勧善懲悪」の思想は,何処においても同じであることがわかり,安心した。ただその表現方法にお国柄が現れ,おもしろ,おかしかった。

エルデニゾー寺院の前で遊牧民のお宅を訪ねて4 ブルド村からの帰りの幹線沿いにナーダム(夏の大祭)が見られるというので,会場に向かった。だだっ広い草原の中の会場の随所に旗が林立されており,近くの村落から老若男女が仮設ベンチに腰掛け,勝手におしゃべりをしたり,馬乳酒を飲みながらいつ始まるともわからないモンゴル時間に合わせて,のんびり,好き放題の勝手なポーズで待っている。
30分するとメインイベントである競馬のゴールが見られる,というガイドさんの話があったが,よく調べると,もう30分を要する,というので,我々は見物を諦めてしまった。
草原の中にラウドスピーカーがチベット語と思われる歌詞の単調なメロディを繰り返し,会場の雰囲気を盛り上げていた。さだめし氷川きよしさんのズンドコ節というところか。
少し時間が遅れると,「情報不足である。説明が足りない。」などと口を尖らせて,主催者側にクレームや抗議をするどこかの国と違い,のんびりしている。

5 モンゴルの沿道沿いのゲルの家庭訪問をした。21歳の夫と同年齢の妻と夫の妹の3人が応対してくれた。馬乳酒とビスケットのような乾燥菓子を振る舞われ,夫は,体格の良い方で,近くの相撲競技で得た栄光のメダルの数々は,仏壇に備えってあった。8月に出産予定の新婚の妻が,我々とのQ&Aに対応してくれた。
知り合いの紹介で交際を始めて結婚した,子供は一人でいい,などと既に奥様リードの家庭の形成が見られた。モンゴルの女性は,どこでもしっかりしているなあ,と感心した。
この国では女性の進学率が圧倒的に多く,従って法曹界や医学界等の高等教育を要す職業においては,女性が断然リードして,仕切っている。それに乗っかって亭主が唯々諾々としている様子が,おかしかった。
仏壇には,象+猿+ウサギ+キジが下から上に,折り重なり,天井にある果実を全員が協力して取り,分かち合うという図柄の刺繍絵が飾られていた。全員努力による収穫を全員に配当する,という平和的共存のシンボルである。
モンゴル人は平和を愛する民族である。人気のある歌に「折り鶴」という広島の原爆に反対する歌がある。 
そのようなのんびりした平和社会がベースであったモンゴルの経済も,現在は計画経済から市場経済へという資本主義の導入によって大きく変動しつつある。それに伴い貧富の格差が広がり,都市部の労働状況は失業者が多く,厳しい,と聞く。

6 この国と我が国との交流の歴史は古く,円満な状況が続いている。ただ,1939年ハルハ河の会戦=ノモウハン事件で日本軍がモンゴルに侵略し,機動化されたソ連モンゴル連合軍にこてんぱちんに敗れてしまった汚点がある。
当田達夫全権大使の説明によれば,JICAを通しての日本からのODAは,主としてこれまではハードの面で,道路・建物・工場などの箱ものの構築物が多かった。我々の目指す法律制度やITなどのソフト面での今後の支援と協力が一層期待される,と発言を頂いたことが印象的であった。
日本おける最近の中越地震のお見舞い金は,ウランバートルの都市のみならず地方の人々からも拠出されて,この国の国力よりも過分なものが,日本に送られたと聞き,感動した。

7 ブルド村での連泊によるキャンプは,自然の動きと時の流れに身を委ねた生活が出来 きて,すばらしかった。
いつもの癖で,早寝をすると夜半に目覚め,自然トイレをする。非常に爽快感と開放感を味わうことができ,どの様な言葉で表現したらよいかわからないくらいスッキリした。これだけでもこの国に来た価値がある。満天に輝く北斗七星は,ゲルの屋根の煙突のすぐ上にあり,手を伸ばせば届くようであった。モンゴル高原は,標高が1500メートル以上あるので,明け方になると冷涼として毛布がないと寒い。
8 2日目の 午後ゾーンモド(モンゴル語で,「100本の木」という意味らしい。)を訪れ,その交歓会は,食べ物はビーフとボーズ(一種のクッキー)・ ホーショール(肉入り揚げパン)などであり,飲み物は「ジンギスカン」という地元のビールとアルヒというウォッカであり,大変盛り上がった。帰りの見送りの町の出口でもアルヒと馬乳酒を飲み,そのつまみにモツモットの一種が,石焼きにして提供された。コラーゲンの多いこりこりとした味で,食べられないという代物ではない。裁判官・弁護士なども交え,「動物愛護」などということなく,日本からの珍客をもてなしてくれる人の良さが,直に伝わってきてうれしかった。

9 草原の至る所に人と家畜(馬,羊,牛,山羊など)が自然と一体となり,天地と融合しての地方での人々の生活ぶりは,誠に大らかで屈託無く,明るいこの国の国民性をはぐくんできた。
年間の国民所得は,いくらか,GDPはどれくらいか,などというコセコセした概念とは,全く無関係な,昨日=今日=明日,過去=現在=未来という持続的な変化の殆ど見られない再生産型の環境の中で,身過ぎ,世過ぎをしているこの国の人々の生活パターンに学ぶことが多い。
今日もモンゴルの高原は,爽々とやさしい風が吹いているだろう。

以上

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